ハチミツコード改

はにこの多肉植物とか、好きなものとか、日記。

映画「無伴奏」大阪舞台挨拶の感想と映画について思う事

無伴奏大阪舞台挨拶行ってきました。
んとねー斎藤工さんはすごいかっこよかった!めがねかけててかわいかったし、出てくるなり「成海璃子です」言うたりボケちらかしたり必死で場を盛り上げようと?していたのもかわいかったです。知ってはいたけど本当に背が高かった。

ちょっと乙女のポーズとっちゃうよね…お隣の方につられて手とか振っちゃったよね…。舞台挨拶が上映前なのって難しいんだって。うかつに話したらネタバレになっちゃうから。なるほどなあ。
成海さんも真っ白のワンピースで髪をまとめていたからか余計に顔小っちゃくて、本当にお人形さんみたいでした。

池松さんもかわいらしい方だった…中身もほわっとした方なのかなあ、体温低くて素敵でした(口数少ない人好きです)。
でもね、でも、ほんとに舞台挨拶の事あんまり覚えてない。
上映前の挨拶だったんだけど、映画の内容が衝撃的すぎて、すべて飛んでしまったのよ…。

なんてもの見てしまったんだろう、って放心状態でした。

学生運動で日本中に色んなエネルギーがあふれていた、とても良き時代(映画を見た限りでは私にはそう思えた)の話。
友達に連れてこられた喫茶店「無伴奏」で、主人公の響子は祐之介とその恋人エマ、そして後に恋人になる渉に出会い、青春時代を過ごします。

あまり細かい説明はしんどいのでとりああえず言いたいことだけ書いてしまおうか。
理論的なものではなくて、感覚的な事なので長いわまとまりないわだけど。

そして大したことは言っていません。

 以下激しくネタバレです、見に行く予定の方はお気をつけて。

 

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主人公の響子に関しても思うことはあるんだけど、結局祐之介と渉の生と死を見てしまった以上、あの二人を中心に考えてしまうのよね…。

祐之介と渉はお互いを好いていたけど、こんな関係はもうやめようと別々に恋人を作った。先にエマという恋人を作ったはずの祐之介が、渉の恋人になった響子の事を車のミラー越しに見つめていた視線と、二人の性行為をじっと覗いていた視線は同じだったのかもしれない。
だけど、二日間の自由を満喫した後、刑事さんに連れられていくときに振り返ったあの瞬間の視線は別物だったような…。
「渉の事は任せたよ」なのか、「それでも渉は僕の物だ」なのかどっちなんだ…。
仮に前者だったとして、あんなに愛の詰まった行為を見せつけておいてそれは、いや、それはあまりにも残酷すぎると思う。それならまだ僕の物だよって意味の微笑だったほうがまだ救いようがある(私に)。
振り返って響子に微笑んだ祐之介の瞳は、世界中にある色をすべて飲み込んでしまったような真っ黒い色をしていたよ…。

祐之介はどうしてエマに真実を話さなかったんだろう。その前に、エマのおなかに自分の子供が出来てしまったから言えなかったのかな。でもじゃあ、どうして?なんで子どもができるようなことをしたの?って考えたら、祐之介はエマの事もまた心から愛していたのかなあ…。というか、そうであってほしい。告げなかったのではなく、告げられなかったととらえた方が私は納得出来る…。
でも、響子に接した渉と比べて祐之介のエマへの扱いは随分ドライだったな、とも思う。

何も知らないエマは何も知らないままああなってしまったけれど、それはある意味幸せだったのかな。
そして全てを知ってしまった響子が渉の心を手放したくないがためにああいう行動をとった事は…正直、同じ女として物凄くわかる。私でも同じ行動とったかも。

祐之介と渉に関しては、本当に愛していたのならそれをどうして貫かなかったのって見てるこっちが心苦しかった…けれど、今の時代でも好奇の目で見られる同性愛者たちが、あの時代に穏やかに過ごせるはずがなかったんだろうな…。なんとなく、祐之介が渉の体を撫でる手に行き場がないように見えてもどかしかったと思うのは、私が女で多少なりとも(笑)おっぱいがあるからだろうか…?

響子が学校で始めた「制服廃止委員会」とか、喫茶店で制服のままタバコを吸う事とか、例えば今の若い子たちがあれをやっても「ちょっとした反抗期ね」「インターネットが悪い!」とかで終わってしまいそうだけど、あの時代じゃそうは行かなかったのかな。

メインの4人誰にも自己投影はできなかった。私は傍観者だった。

でも響子のご学友の、自殺未遂の理由を朗らかに笑って伝えたあの子が私には一番眩しく思えたかな。そんな理由でそれが出来る強さが私はとてもうらやましい。育った環境や時代背景は違えど、似たような気持ちで毎日を過ごしていた時期は私にも確実にあったから。だけど、実行してしまうあたりが幼いな、とも思う。背中合わせの感覚で彼女たちを見ていました。

あと思うのは、あの4人がその後も笑って生きていけた、4人全員が人生を好きだと心から叫べた未来なんてあったのかな…という事。私的には、そんなもの結局のところないんじゃないかと思ってる。
響子はすべてを知っていたのにそれをエマに告げる強さを持てなかった。
エマは何も知らず、大好きな恋人に殺されてしまった。
祐之介と渉は「それでも一緒に居よう」を貫けなかった。
みんな弱かった。弱すぎた。日本中があんなにも活気にあふれていた時代だったのに、一人ひとりの心はあまりにも弱すぎた。

で、なんで結局祐之介と渉は一緒に居られなかったんだろう。それも時代のせい?
もうほんと、あんなの見てしまったらどうしても一番にこれを考えてしまうよー!
どうして好きな人と好きな人が一緒に居られないんだ!時代か?時代か!だったらそんな時代蹴っ飛ばしてしまう強さが…欲しかったよな。ほんとこれ書いてても涙出てくるぐらい悲しい話だった。

「響子、君は人生が好きかい?」
渉が響子に投げかけた言葉を、全てを見終わった今の私が登場人物の誰に投げたいかと聞かれたら、間違いなく渉だと思う。あなた一体、どんな気持ちでそれを響子に問いかけたの?って聞きたい。

主題歌はDrop'sの歌う「どこかへ」なんですが、これがまたとてもマッチしてたなあ。歌いだしの「もし世界中を敵にしてもかまわない」って、この一言に凝縮されていました。

映画を見る前は主人公である響子の言葉なのかなって思ってたんだけど、今思えば、誰にでもあてはまる気持ちなんだろうな。世界中を敵にしても、渉が好きだった。祐之介が好きだった。響子が好きだった。エマが好きだった。って、思う。名曲です。ライブ行きたい。行きますね。


全ては私の心が落ち着くための考察?感想?なので、真実はわからないし、正直わかりたくもない…ずーっと一人で、あーでもないこーでもないって考え続けていきたいと思った。何度でも見たくなる作品だし、映画に対してここまで自分の無力感を感じたのって初めてだった。

大声で「この映画ちょーいいんです!マジちょう好きなんです!見て!超感動すっから!」って伝えるのではなくて、本当に心を許せる人にだけ、小声で「わたしね、このえいががすきなんよ。あんたにもみてほしい。」って伝えたいような、そんな作品でした。

 

以下は自分でも相当馬鹿だと思うこじつけ

 

たくみさんがむかーし出ていらしたBoysloveと言う作品でも、たくみさん扮する主人公、のえるくんと間宮さんは結局二人とも死んでしまって、今回この作品でもこんな結末を迎えてしまって、なんか…いつになったらたくみさんの中の「彼の事を愛した僕」は幸せになれるんだよ…いつの時代に生まれ変わったらいいの…って思いました。かいててほんとしょーもないな。

 

おしまい!